前項に続き、オッチャンテイミングに関して解説していく。
実務の横軸、人格の縦軸
オッチャンテイマーとなり、オッチャンを手懐けることができたなら、日々の仕事の中で衝突をすることは減ってきているはずだ。
それはオッチャンのタイプ別に、基本的な仕事の進め方を理解したからである。
心配性タイプにはメールCCに入れて報連相をして指示を仰ぎ、放任主義タイプに対しては自律駆動型戦闘ロボットになって自動で戦い、その成果を報告をする。
ここまでは仕事に対するベースの話、実務の面でのメンタルであった。
この心配性ー放任主義のバランスを横軸に取るならば、それに対しての縦軸は「人格」である。
「人格」とは単に良い人とか、優しいとか、そういうレベルではない。
精神的な修養を積んでいるか否かである。
論語で言うところの「君子」と「小人」である。
日本語風にいえば、「器が大きい」「器が小さい」であり、ネガティブな方向の人間に対しては「小人物」という呼び方もある。
さてこの「人格」であるが、これがどうオッチャンテイミングに関係するかというと、こちらが仕掛ける「幻術」に掛かるか否かというジャッジになる。
これから詳しく解説していくが、基本的には世の中の大半のオッチャンは人格が低い〜並の人が多い。
これは決して馬鹿にしているわけではなく、特にキッカケがない人は「生(き)のまま」にナチュラルに育つので、修養の場が与えられにくいためだ。
そのため人格が並、もしくは低いというのが80%を占めると私は感じる。
このように「生(き)」のままに育った、「人格が並のオッチャン」に対して有効な幻術をかけていく。
参考までに、簡単なマトリクス図を作成した。
注意:人格者には幻術はかけてはいけない
これからこの幻術について詳しく解説していくのだが、まず最初に大切な注意点がある。
それは、人格者(人格的に修養を積んだ人)に幻術をかけようとすると、その魂胆が一瞬で見抜かれて、ものすごく嫌われてしまうということである。
それに対して人格者でない人、つまり小人物は、この幻術を幻術と気づかずに幻惑されて、こちらのペースに乗る。
しかし人格者は、この幻術の匂いに敏感で、すぐに気がついてしまう。
そして幻術をかけてこようとするその根性を蛇蝎の如く嫌う。
不潔な精神の者とみなし、以後、警戒を解くことはない。
それはたった一回で決まってしまい、挽回のチャンスはなくなる。
ゆえに幻術をかけようとするかどうかは慎重に判断しなくてはならない。
ちなみにこの人格者に対して有効なのは、無垢さ・正直さ・誠意・曇りなき友誼のみである。
打算のない、素直で正直な誠意や友誼の感情。
これがどんな小細工よりも評価される。
これらの性質は、人格者のそれと近しい。
大切なのは邪念がないという点だ。
人格者は、自分と同じく高い精神的修養を積んだ人と友達になりたいと思っているし、それが大変に得難いということも知っている。
人格者は、結果的に裕福である場合が多いので、邪念を持つ我田引水の者たちが近寄ってきやすい。
これに曝され続けた結果として、人格者は幻術をかけようとしてくる人を猛烈に嫌い、その匂いに敏感になるのである。
ゆえに人格者は同じく人格者の友人を求めるが、それはやはり得難いので、次の候補として無垢でイノセントな正直者、「生来のいいやつ」を友人に選ぶ。
計算高くなく、邪念がなく、まごころでもって友誼の感情を示してくれる相手。
これは信用できるとされる。
論語で言うところの「剛毅木訥は仁に近し」である(飾り気のない口べたの人は、道徳の理想である「仁」の精神に近いこと)。
そのためあなたがもし、少々アタマが回って知恵が働くタイプであっても、その知恵でもって人格者を幻術にかけようとしてはならない。
人格者に対しては、そのような姑息な策を弄することなく、素直な気持ちで友誼の感情を示せばよい。
そうすれば、周りの小利口な者達が勝手に幻術をかけに行って弾き返されていき、自然とあなたの順位が上がっていく。
人格者に対しては、幼き頃に母親に習ったような道徳心でもって友誼の感情を示すことが最大の近道となる。
繰り返すが、人格者に対して幻術をかけようとしたらそこで終了なので気をつけてほしい。
ただ人格者は20人に1人くらい、5%ほどであり、その分布は経営者や役員クラスに偏っている。
そのため、これらの層と接触する際に注意をする、という意識で良いかと思う。
人格が並以下のオッチャン
前項で注意すべき相手がわかったところで、残りの95%のオッチャンに有効な幻術について解説していく。
結論としては「プチ殿様気分をいかに味わわせるか」である。
キーワードは「プチ殿様気分」である。
オッチャン達の心の中には、承認欲求がある。
多くのサラリーマンオッチャンの場合、マズローの段階欲求において下位の欲求(生存や安全など)はもちろん、社会的欲求(所属の欲求)もある程度はクリアされている。
その次は4段階目の「承認欲求」であり、最後の5段階目に「自己実現の欲求」があるが、サラリーマンのオッチャンの場合には自己実現の欲求は薄い。
少なくともサラリーマン仕事という舞台において自己実現しようというオッチャンはほぼいない。
あるとすれば趣味の領域で自己実現を目指す、くらいであろう。
それすらもなく、ただ生活のために働いているという人が多く、これが「生(き)」のままに生きるということであろう。
そのためサラリーマンのオッチャンにとって最も関心がある欲求は4段階目の「承認欲求」となる。
承認欲求はもちろん、目上の人から褒められる、評価されるという意味での「承認」ももちろんあるが、オッチャン達の場合には「部下からの承認・尊敬」という要素が入ってくる。
オッチャン達も男であり、オスであるから、下位の者から慕われたい、尊敬されたいという感情が少なからずある。
いわゆる自尊心である。
名著『人を動かす』の奥義である「自己重要感を与える」もまさにこれである。
いかに口で「俺は尊敬なんてされなくても〜」と嘯くオッチャンがいたとしても、それは本心ではない。
その本心ーーいや、本能に嘘がつけないのは、動物的本能が持つ父性、オスとして必要な機能として、太古の時代に我々の脳に刻み込まれているプログラムだからであろう。
この欲求に応えていくところがオッチャンテイミングの奥義「プチ殿様気分」である。
ここでも「オッチャン」の呼称と同じく、このワードセンスは重要になる。
「プチ」を使うことにより一添えの「かわいらしさ」と、そして「僅かながら」のニュアンス感を感じられると思う。
そして「殿様」という単語。
これも日本人であれば理解がしやすい単語であろう。
お殿様は、高位の存在であるが類義語の「王」とはまた違ったニュアンスを感じるであろう。
最後に「気分」。
これはあくまでも「気分」であり、決して事実、リアルではないという意味を持つ。
あくまでも、おままごとなのである。
おままごとの結果として、「気分」を感じていただく。
この概念は、こちら側、テイマー側のためにある。
あくまでも「気分」だから、心底まで従属する必要はない。
心底まで従属する意識でいるとストレスが溜まるので、ここはあくまでも「気分」を味わわせてあげるにとどめるという意識を持つことで、このストレスは感じなくなるであろう。
そしてこれらを繋げて完成する言葉
「プチ殿様気分」
どうだろうか。
なんだかかわいらしいチョンマゲ頭の、そう、志村けんのバカ殿のような雰囲気が漂ってこないだろうか。
このイメージが大切で、真の殿様と看做してしまうとそれはそれで重たくてストレスになるし、プチという単語が抜けても重さが生まれてしまう。
プチ殿様気分。
この語感を大切にして、オッチャンテイミングを始めていく。
プチ殿様の扱い方
人格的な修養が並以下のオッチャンは、自己重要感と承認欲求に飢えている。
また、オスとしての本能的プライドがあるということも先に述べた。
この習性をうまく利用し、ハックする。
具体的には「殿!殿!」というスタンスをとる。
具体的には、朝は席まで出向き「殿!おはようございます」という気分で挨拶をする。
もし、殿と一緒に歩いていてドアがあるなら、サッとドアを開けて「殿!お通りください!」という形にする。
他にも、例えば殿がコピー用紙が切れて困っていたら率先して
「殿!私がやりましょう!」
と進んで手伝ったり、殿が雑務に追われていたら
「殿!私にお任せを!」
と率先して雑務を請け負う。
オイオイそんな雑用係みたいなことしたくないよ、できないよ、なんでそんなことやらなきゃいけないの、と思う読者もきっといると思う。わかる。
私もそうだったから、わかる。
しかしながら、オッチャン達はこういう部下を欲しているのである。
これに対し反射的に「ふざけんな、キモい、ウザい、何様のつもりだ」と感じる気持ちは、わかる。
繰り返すが私もそうだったから、わかる。
わかるが、オッチャン達はそれを求めている。
バナナが欲しくてたまらないゴリラのように、その対応を、サービスを、プチ殿様気分をさせてほしいと、無意識のうちに部下に求めているのだ。
キモくてウザい下劣なことだけれど、そういう実態なのだということは理解しておかねばなるまい。
ちなみに人格的に修養を積んでいる人は、この下劣なる感情に抗う。
「部下が雑用やってくれないかなぁ」「気を利かせて色々サービスしてくれたらうれしいなぁ」とは思いつつも、そんな自分の下劣な感情にハッと気が付き、持ち直す。
「そんなことを部下にさせてしまったら、俺は小人になってしまう」
という克己心が湧いてきて、その誘惑に打ち克つ。これが人格者たる所以でもある。
そのためこういう人は雑用なども黙ってやってしまうのであるが、そこをさらに見抜いて
「殿!私も一緒にやります!」
(※人格者に対しては「やらせてください」よりも「一緒にやろう」がベター)
と言われると嬉しくなり、かつその心意気を高く評価する。
ちなみに人格が並〜低い人はこのような申し出を高く評価することはなく
「おっ、やってくれるの?サンキュー、ラッキー♪」
くらいにしか思わない。一過性の感情となる(こういうところ小人たる所以でもある)。
しかしながらこの場合であっても「プチ殿様気分」があるため喜ばれて、プラスの印象はつく。
このとき忘れていただきたくない概念がやはり「プチ殿様気分」である。
基本的には「プチ」で済む範囲のサービスまでで良い。
そして「気分」を感じてもらえれば、それだけで十分だ。
大切なのは、気分。
「こいつは俺に逆らわなさそうだ」
「こいつは俺のこと尊敬してくれているのかな」
「俺って部下に慕われる上司なんだな♪」
こう感じてもらえることが大切だ。
そう、これが私の言う「幻術」なのである。
オッチャンの自尊心はデリケート
先述の「プチ殿様気分」を意識することでプラスの方向でオッチャンの心象を良くすることはできた。
このプラス方向の心象を「攻め」とするならば、「守り」も気をつけなくてはならない。
つまりマイナス方向の心象である。
具体的には「馬鹿にされた」「侮られた」「侮辱された」というような感情をオッチャンに持たせないこと。
危ないのは、仕事をしている中で「それは間違っているのでは?」ということをオッチャンが言っている場合だ。
それを指摘したくなる気持ちはよくわかる。
わかるが、もしそれが大勢に影響がないことであればスルーしたり、
「殿の仰る通りでございます。さすがは殿!」
という態度をとる。決して議論はしない。
議論に入った途端、オッチャンの敵になってしまうからだ。
「議論程度で敵とかww」と思うかもしれない。
しかしながら、多くの人格が並以下のオッチャンは、残念ながら感情に支配される動物である。
理知的な判断ができるという前提でいてはいけない。
若き日の私も、このことを理解できず苦労をした。
いっぱしのオトナであれば、皆、理知的な判断ができると思っていた。
しかし現実は、感情に支配されたそこらへんのオッチャンが大多数なのである。
そのため「大勢に影響が出そうだな、危ないな」と思うことで、どうしても諫言しなくてはならないならば最大限に気を遣ってデリケートに扱っていく。
「殿!畏れながら…それはもしかしたらこういうことかと…」
「すみません、もしかしたら私の考え過ぎかもしれないのですが…」
このようなニュアンスで話す。この、オッチャンという「殿」の自尊心を最大限尊重した姿勢が大切となる。
ダメな例はこうだ。
「いや、それはダメだと思いますよ。こうこうこういう理由で」
こういう態度をとってしまうと「殿」は小人物なので、その内容はともかくとして「言い方」にカチンときてしまう。
これが100%正論であり、その判断が結果的に合っていたとしても、その物言いの仕方でオッチャンのデリケートなプライドは傷つけられてしまい、あなたに対する悪い心象のみが残ってしまう。
並のオッチャンは自己肯定感が低い傾向があるので、プライド(自尊心)がわずかでも傷つけられると過剰に反応をしてしまう。
わずかな指摘・批判も「俺が間違っていると言いたいのか」「攻撃を受けた」と思い込みやすい。
そして過剰な防衛反応をとってしまう。
「俺を馬鹿にするな!」という感情が燃え上がって、それに支配されてしまい、合理的・論理的な思考回路ができなくなる。
「ヒステリー」とはよく、女性の特性と言われるが、そんなことはない。
オッチャン達も持っている特性である。
これを繰り返してしまうとオッチャンから敵とみなされてしまい、あらゆることに邪魔をしてくるようになってしまう。
こうなると社内調整はやりにくくなってしまう。
自己重要感に飢えたオッチャン
名著『人を動かす』に通底するテーマ・奥義は、「自己重要感を与える」であった。
どんな人でも自分を大切に扱われたいという欲求があり、これが乾いている者は異常な行動をとる。
そして、高い能力があり、実績を出している人は既に周りから評価をされているから、この感情に飢えてはいない。
こういう人は人格者であることも多いので、ますます幹部候補にもなっていくので問題はない。
問題は、特に評価されていない圧倒的多数のオッチャン達である。
このオッチャン達は、無意識のうちに何とか自分の自己重要感を満足させようとしてしまう。
その無意識な感情により、自分の痩せこけた自尊心を、自己重要感を満たそうとして、部下や取引先に横柄・尊大な態度をとってしまうのだ。
例えば、
- つまらないことで長時間説教
- 重箱の隅をつつくような指摘
- 仕事の本質に関係のないことでの指導
- 新聞読んでるマウント
- 部下からの提案をとりあえず却下する
- 大声で恫喝
などである。
これらはこの令和の世の中では立派なパワハラとみなされるようになったので、少々、抑止力となり鳴りをひそめているが、少しでもオッチャン側に理がある場合(パワハラとはみなされない、正当と思われる状況の時)は嬉々として先述のような行動を取り始める。
これは、彼が自己重要感に飢えているから起こる現象なのである。
また、それを引き起こしてしまうのは、普段からあなたに隙がなく、また臣従の姿勢をとっていないからであったりもする。
普段から、上長は鬱屈した気持ちになっていて、その感情のダムが堰を切るのがこの瞬間なのである。
ガマンしていた自己重要感を欲する感情が破裂したということだ。
何とも小人物なことだと思うが、それが生のままに生きているオッチャンのリアルな生態なのである。
これを防ぐのに有効なのが普段からの「プチ殿様扱い」だ。
幻術=自己重要感を与える=プチ殿様扱い
普段から「プチ殿様扱い」していると、オッチャンの目からは従順な部下と映る。
そのため感情面で自尊心が満足しているため、この方面での攻撃をしてこなくなる。
エサを十分に与えられたライオンが獲物を襲わないのと同じように、自己重要感に飢えていないオッチャンの攻撃性は弱まる。
少なくとも、臣従の姿勢をとっている者に対してはあえて強く出る必要がないからだ。
先述の異常行動をもう一度見てみよう、
- つまらないことで長時間説教
- 重箱の隅をつつくような指摘
- 仕事の本質に関係のないことでの指導
- 新聞読んでるマウント
- 部下からの提案をとりあえず却下する
- 大声で恫喝
これらは、自分のことを大切に思ってくれていないと感じている部下に対して、半ば八つ当たりのような感情で繰り出される。
要は「俺のいうことを聞け」「俺はすごいんだぞ」という感情である。
なんとまあ小人な感情なのだろう、と思うのは当然だが、やはりこれが圧倒的多数の生のままに生きているオッチャンのリアル生態なのだ。
オッチャンをプチ殿様扱いするためのテクニックは数多くある。
まだまだ語り尽くせていない技術があるのだが、それらを紹介していくと長くなってしまうので、ひとまずはここまでとしておく。
オッチャンテイミング技術については、また別のところで体系的にまとめていきたい。
続き:社内政治
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