営業マンをしていく上では、社内調整、もっといえば社内政治が必要になる場面も多い。
私も駆け出しの頃、この仕組みや上司たちの観察眼が足りず苦労をした。
しかしトライアンドエラーを繰り返す中でその社内調整のコツを自分なりに見つけたので、その知見を共有する。
社内調整=イレギュラー対応
まず社内調整がなぜ必要なのかを考える。
社内調整は、通常のルール・セオリーやロジックから外れた場合に、特別な判断が必要とされるから発生する。
通常の社内ルール通りに処理できたり、セオリーやロジックが従来通りのことであれば、問題なく社内処理を進めることができる。
例えば、見積書を作る時に目標となる販売額・利益率などである。
これがルール通りの水準をクリアしていれば調整の必要はない。
また値上げや値下げなどの際にも、自社が打ち出したセオリーやロジック通りに価格改定が実施されるのであれば、自社の要望が通ったということであり、やはりこちらも調整をする必要がない。
とはいえ残念ながら多くのケースにおいて、お客様との交渉は、自社の思い通りにはならないことが多い。
値引き要請により目標の利益率を下回ったり、目標の最小数量以下で発注したいと言われたり、数量が減っても価格据え置きでお願いしたい、などである。
これらは自社のルールから外れてしまうので、杓子定規な対応をしようとすれば
「それはできません」
と一蹴し、商売は不成立で終了である。
もちろんこれは正論である。
しかしそこを交渉して売上と利益につなげることもまた営業マンの仕事でもある。
先述の杓子定規な対応は、誰でもできる。
そうではなく、器用な対応が営業マンには求められているのだ。
ルールから外れたイレギュラーな対応が発生したときに、営業マンは社内調整、ひいては社内政治を行うのである。
結局は大将次第
さてそんな社内調整と政治であるが、シンプルに言い換えると
「決裁権者から許可をもらう」
ということが目標である。
決裁権者とは、所属している部署の部長かもしれないし、案件によってはさらに上、取締役や社長の決裁が必要な場合もあるだろう。
多くの場合には最終決定権者は社長になると思うが、社長が仔細まで掌握して決裁しているケースは少ないと思われる。
そのため各部門に関する全権を役員クラス、例えば営業の部門ならば「営業本部長」に決裁権を与えている場合が多いかと思う。
つまりはよほどの難解なケースでない限りは、営業本部長という「大将」の決裁が取れれば営業マンとしては良いのである。
大将から許可を得れば、部隊長(課長など)の許可は不要…というか、部隊長レベルでは大将の指示に従わざるを得ない。
それが組織というものである。
決裁権リレー
ただし、会社規模にもよるがこの役員クラスの人物に直接決裁をもらいに行くというのは難しいだろう。
直属の上長を「アタマ越し」してしまうからだ。
そのため基本は、自分の直属の上長である課長やその上の部長あたりにまず相談して、徐々に上に上げていくルートになる。
まず直属の課長に相談する。
それを受けて課長が部長に相談する必要があると思えば、部長に相談する。
そして部長に決裁権がある範囲であれば、そこで判断がなされる。
しかし部長の決裁権を超えていて、かつ判断が難しい場合には部長からさらに上、役員クラスへの相談になっていくだろう。
このようにリレー方式で決裁が上がっていくのであるが、このときに問題になるのは途中でそのリレーを止められてしまうことだ。
リレーをストップされないために
多くの人が苦労するのはこの場面だと思う。
自分の提案や意見を課長に相談しても、そこで握りつぶされてしまって、止められてしまって、その先の決裁権者まで届かない。
却下されて終了、代案なしといったケースだ。
もしくは課長から指示が出される場合もあるだろう。
その課長の指示が的確で、自分の案よりも優れていると思えるならば「さすがは課長!」となるところであるが、なかなかそうもいかないかと思う。
「事情をよく知らないのに…」
「この方法は以前ダメだったのに…」
「この指示は商道徳としては良くないんじゃないか…」
「この方法は問題の先送りしているだけではないか…」
このように課長の判断・指示に疑問を抱くケースもあると思う。
そして課長のところで、自分の意見は止められてしまって、そこで終わってしまう。
もしくは課長は進めてくれても、その先の部長で止まってしまうこともある。
つまりは決裁権者・意思決定者、すなわち「大将」まで届かない可能性があるのだ。
そして意見が届かない場合、自分自身のフラストレーションが溜まることはもちろんとして、会社全体の利益を損なう可能性もあるかもしれない。
まさのこの場面で、社内調整・社内政治の巧さが問われてくる。
社内政治が巧い人はこの課長ブロックにならないようにして、部長へたどり着く。
部長ブロックが発生しそうなら、うまく誘導して役員まで届かせる。
これが社内調整・政治の力と言えよう。
オッチャンテイマーになる
この社内調整・政治について私自身の経験を振り返ると、その過程はオッチャン達を飼い慣らす・手懐ける工程であったと思う。
まさに猛獣や動物の類を調教し飼い慣らすようにして、オッチャン達を手懐ける。
手懐けるーー英語ではこれをtameテイムという単語で表し、それをする者としてtamerテイマーと呼ぶ。
オッチャンを飼い慣らす者ーーすなわちオッチャンテイマーになることが社内政治には必要なのだ。
誤解なきように説明しておくと、オッチャンテイマーはオッチャン達を強い力で縛り上げて言うことを聞かせるという意味ではない。
犬や猿に芸を仕込むがごとく、うまく誘導して使いこなすという意味での飼い慣らす。
これを得意とするのが、オッチャンテイマーである。
ちなみに対象となる中高年の男性を
- オジサン
- オッサン
と呼ぶこともできるが私はあえてオッチャンという呼称を用いる。
オジサンやオッサンに含まれる侮蔑のニュアンスは好ましくない。
これだけで捉え方がかなり変わる。
意外にも大事なポイントだ。
「オッチャン」という、ちょっとカワイイ響きが、オッチャンテイミング活動には必要だ。
そこには侮蔑や軽蔑の念が一欠片もあってはならない。
オッチャン達はこの侮蔑や軽蔑の空気をすぐに察知してしまう、繊細な生き物なのである。
曇りなき親しみと慈愛の心でもってオッチャン達と対峙せねば、その心を開かせて飼い慣らすことはできないのだ。
だからこそ私は「オッチャン」という呼称にこだわる。
- オジサンテイマー
- オッサンテイマー
これらはダメで
- オッチャンテイマー
にならなければならないのである。
オッチャンの生態
さてそんなオッチャンの生態についてだが、私がオッチャンという呼称にこだわっているのはそこに「かわいさ」が潜んでいるところが大切だからである。
- 大事なことを忘れちゃったり、
- 過去に説明したことを忘れちゃったり
- 勘違いしちゃったり
- 疲れて眠かったり
- 難しい数字や計算がわからなかったり
- エクセルやメールの操作が下手だったり
- 昔からのやり方に固執しちゃったり
- 特別扱いされないと拗ねちゃったり
こういうちょっと頑張れよ、という部分でスペックが低いのがオッチャンの生態なのである。
だからこれを矯正しようとか、バカだなと軽蔑したりとか、そういう空気を纏ってはいけないのだ。
これらのしょうもない特徴を、優しく笑って助けてあげて、飼い慣らしていく姿勢がオッチャンテイマーには求められる。
ここで大切になるのが「オッチャン」という呼称である。
先述のしょうもない特性も、その呼称を「オッチャン」にするだけでなぜかカワイイものに見えてこないだろうか。
このコロンブスの卵的な発想が大切で、私はこのオッチャンテイマーとしての腕、オッチャンテイミング技術に関してもまた別書をしたためたいと思っている。
続き:オッチャンテイミング1
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