エピソード3 片道切符

自分語り

僕の名前はヤコバシ。成果を出したがゆえにブラックを憎む男。前回の記事では新人営業マンとしての駆け出しを説明した。今回はそこから新人としては規格外の成果を出した後に、事実上の解雇宣告をされるところまでお話しする。

ほったて小屋のおじいさん

僕は成果を出すべく、東京都内の大型ビルを日々、駆けずりまわっていた。徒歩で赤坂見附からスタートして、青山、渋谷、六本木と抜けて広尾まですべて歩いた日もあった。今思うと意味がわからない。歩くために少しでも軽いカバン、靴を研究した。そんな靴は2ヶ月くらいで靴底がすり減って交換していた。マジだ。まさしく肉体労働だった。

そんな駆けずり回っていく日々の中で、とある大型ビルに狙いをつけた。いつもの手口で守衛所で情報を聞き出し、ターゲットの居場所を突き止める。外の駐車場の片隅にある、倉庫のようなほったて小屋。そこに踏み入ったら、ソファで昼寝をしているオッサン…いやおじいさんがいた。突然の来客に驚いたおじいさんであったが、僕の身なり(作業着)を見て、あぁ、工事屋さんかねと理解してくれた。僕は自分の名刺を出して身分を明かし、こんな工事ができますとパンフレットを渡して説明をした。しかしおじいさんいわく、この大型ビルは数年後にもう解体が決まっていて、改修工事の仕事はないんだよ、そして俺も同時にお払い箱さと笑っていた。

そうですか…と僕は正直ガッカリして、ほったて小屋を後にした。確かに古いビルで、解体は本当そうだったから、深追いは無駄だと判断した。

そして忘れもしない8月、急な夕立で雨宿りをしていたら、知らない番号から電話がかかってきた。おそるおそる出てみると、あのほったて小屋のおじいさんだった。「キミに仕事をお願いしたい知人がいるから、明日、俺のところに来てくれ」と。僕は、ビル取り壊すとかいいつつどこか不具合でもあったのか?と思いながら翌日、ほったて小屋に行った。そして、その解体予定のビルの中に連れられて、僕にまた別のおじさんを紹介した。

そのおじさんは、とある公的機関の不動産を管理する設計士だった。彼が管理している物件で、特殊な技術が必要な物件があり、僕が以前持ち込んだパンフレットに合致する商品があったのだ。それをほったて小屋のおじいさんは覚えていて、この設計士のおじさんとの雑談の中で僕を思い出してくれて紹介をしてくれたのだった。

えっ?こんなすごい設計士と、なんでおじいさん知り合いなんですか?と聞いたら、設計士のおじさんは言う「この人はXX建設の元所長で数十年の付き合いなんだ」と。このほったて小屋のおじいさんは、かつてスーパーゼネコンで作業所長をやっていた人なのだった。僕はおじいさんの名刺はもらっていたけれど、ナントカ興産(株)みたいな社名で、そんなすごい人だったとは全然知らなかったのだ。

そして後日、上長と同行し、設計士の方と打ち合わせを進め、とある地方都市にある大型物件の全面改修工事の工法として全面採用されることになった。工事請負の総額は1,000万近くになり、これは新卒では規格外の成果だった。また、この契約の工法は受注を取るのが難しい点も社内では大変褒められた。入社半年、9月ごろの出来事だった。

この元所長には、さらに現役の所長を紹介してもらって、たくさんの仕事を頂いた。そのほかの仕事も忙しくやっていたら、いつの間にか元所長がいたほったて小屋は突然、なくなってしまって行方もわからなくなってしまった。直接お礼を言えなかったのが心残りだが、ありがとう、元所長…!

2年目 破竹の勢い

こうして僕は最初の幸運で大きな成果をあげることができた。そしてこのような幸運がさらに2件続き、どちらも新規開拓となった。同期はほとんどゼロで、よくても1件という中で僕は3件の新規開拓ができた。額はともかくとして、新規開拓の件数だけなら部内でもトップだった。

そして僕は2年目になった。僕はやはりツイていたんだろう。2年目も新規開拓を重ねていく。勢いだけだったが、その勢いを認めてくれるお客さんもたくさんいた。今思うと、若かったから許された営業手法であった。2年目も某国大使館や某高級ホテルの仕事など、これまで会社が取れていなかったような新規の仕事をたくさん取った。また新たなスーパーゼネコンの元所長を発掘して、某スーパーゼネコンの本社設計局に上司とプレゼンに行ったりもした。これも当時としては珍しいことだった。当時を振り返ると、僕は怖いもの知らずだったから、とりあえず突っ込んでいた。ゼネコンの人々も理解ある方が多かったのがラッキーだったと思う。こうして僕の2年目は順調に進んだ。

改善提案

その成功体験の中で、僕はいくつか気づく事があった。効率的な営業手法である。現状は、営業マン同士がナワバリ争いをしているような状況だった。先輩のシマは荒らすな、と後輩は言われてしまい営業範囲に制限がかかっていた。

僕はそういう「先にツバつけたもん勝ちな」ところを一回なしにして、ゼネコン各社ごとにチームを割り振り、その中で新人も育てていく方式の方が結果的に良いのではないかと思っていた。成果は個人ではなくチーム単位にすればギスギスした雰囲気もなくなるのではないか。

そんなことを、僕は社長面談で進言した。

その他にも、他社もやりまくっている接待の解禁とか、他社より高すぎて入れないところは特価認めましょうとか色々言った。社長は段々機嫌が悪くなってきた。

だんだん「オマエ、俺(社長)のやりかたに文句あるんだな?そういうことだな?」とボルテージがあがって、社長室から追い出された。

今思うと、僕も若かったので、言い方も悪かった。

そもそも社長に向かって戦略の不備を突き付けたら社長もメンツが潰されて怒るよね。そもそも社長は「営業は孤高たるべし!切磋琢磨せよ!」みたいな考え方の人だったから、僕が考えたチームで営業し、新人を育てるみたいなスタイルを取り入れるはずがなかった。僕が入社早々、一人で野に放たれたのが代表的な事例だ。

翌日僕は営業部長に呼び出され、翌週から現場への配属が決まった。

その会社において、大卒の営業マンに「現場へ行け」というのは退職勧奨と同義だった。現場というのは、建設現場である。そこの雑用からスタートする。職人たちの小間使いとなり、給与も大幅に下がる。

僕の前にもそのような異動を言い渡された人は何人もいて、その95%が辞めていた。5%は、現場でイチから頑張って、職長になっていた。僕はその職長を目指すようにと部長から言い渡され、引き継ぎもそこそこに、現場へ送り込まれていくのだった。これは事実上の片道切符の島流し、解雇宣告だった。

続き:EP4 現場作業員

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