僕の名前はヤコバシ。
成果を出したが故にブラックを憎む男。
前回の記事では僕がなぜ大手企業を選ばなかったのか、どんな軸で就職活動をしたかをお話しした。
要約すると、
- 規模ではなく、儲かっている会社
- 自分に営業力をつければどこでも通用する
この2軸を追い求め、それに合致するであろう会社を見つけ出して内定を得た。
その内定者期間中にインターンという、ただのアルバイトをしつつ、いよいよ大学を卒業、入社したのだった。
このサイトでは、僕の体験から導き出された答えをお話しする。
その答えとは
- 儲かっている
- 化学メーカーで
- 営業職をやれ
だ。
猟犬は野に放たれる
4月に入社して1週間、先輩営業マンに同行した。
今思うと、この同行営業の意味は薄かった。
先輩方は既存顧客を中心に回るルート営業と化していて、
これから僕らに課される新規開拓はほとんど行っていなかったからだ。
そして同行が終わったらパンフレットを使ったロールプレイングを先輩社員と行うという研修。
あとはマナー講師を招いての電話対応とか1日やって、その研修期間(1週間)が終わったら、
「ハイ単独で営業スタートね」
とリストを渡され、野に放たれるのであった。
この会社は、建築業の下請けをやっていた。
大手建設業者(ゼネコン)から仕事を依頼されて、それをさらに職人さんに外注し、仕上げて、お金をもらうという仕事だった。
営業マンである僕は、ゼネコンさんに訪問し
「こういう工事ができます、いくらでできます、だからお仕事振ってください」
とお願いして回る仕事(営業)をすることになった。
そして、その営業の仕事は、大きなビルを相手にした方が規模も金額も大きく効率的だった。
そこで、まだ開拓できていない大型ビルの仕事が取るべく新規営業をする、というのが新人営業マンたちのミッションであった。
今思えば、このような新規開拓は、工事のイロハを知らない新卒がやるべきことではない。
そもそも「工事」というのはゼネコンさんにとっては大切な商品であり、彼らも大手の看板を背負っている以上、テキトーな担当者・会社に発注できるはずがない。
納期遅れや失敗したら、大問題だからだ。
ちなみに、この会社は就職活動中には明確に「営業」と呼ばないで「プランナー」です、と学生には言っていた。
モノは言いようだなぁと今なら笑える。
プランナーとか、アドバイザーとか、コーディネーターとか。
横文字で名刺を作るけれど…結局は「営業マン」じゃないか。
このようにして学生の目をくらましてくる会社もあるから注意しよう。
執拗に嗅ぎ回る
大型ビルは、基本的には建てた建設会社が修繕をする。
仕事をゲットするには、ターゲットとなるビルを建てた会社を探していくのが第一歩だ。
そしてXX建設だとわかっても、営業すべき工事担当者はゼネコンの本社にはいない。
彼らは「作業所」という、小さな事務所にいる。
- 雑居ビルの一室
- マンションの一室
- 大型ビル地下駐車場の隅のプレハブ小屋
これは当然だがネットには載っていない。
そのため、営業対象の居場所を突き止めるところからスタートした。
サラっと書いたが、この「担当者の発見」が最初の難関であった。
今思えば、既存のお客様から紹介してもらってスタートすればいいのにな…と思う。
守衛所の攻略?
今はもはや通用しない方法かと思うが、当時は守衛所や防災センターのオッチャン達に秘密保持の意識が薄かったので、このオッチャンたちから大体の情報は聞き出せた。
将を射るならまず馬を射よである。
この時、スーツを着ていてはダメだ。怪しい。
生命保険の営業マンに見える。
作業着を着てヘルメットを持って守衛所に行くのだ。
「あの〜XX建設さんの事務所ってどこでしたっけ?」
と、しらばっくれて聞く。
実は「XX建設」とはカマかけだ。
するとオッチャンは
「え?XX建設じゃなくてYY建設だろ?それなら地下一階のトイレの横に作業所あるよ」
と普通に教えてくれるのであった。
今これを書いていて、危ないことをやっていたなと思う。
ちょっとデキる守衛の人なら怪しまれて、不審人物として警察呼ばれてたかもしれない。
そうして飢えた猟犬のように嗅ぎ回り、居場所を突き止めていった。
お情け頂戴
そうしてお客様に接触していくわけだが、当然、新人っぽさ全開の僕はどう足掻いても工事に詳しくは見えない。
しかし会社としては、大手ゼネコン各社に実績があったから、そこを引き合いに出して
「安心ですよ〜
ここでもやらせてくださいよ〜」
と日々拝み倒すのである。
それでゴリ押すしかなかった。
新卒で知識経験がない僕自身には、価値がないのだから。
シンプルにしつこく通った。
季節の変わり目にハガキを出したりして情に訴えていった。
なお自社の価格は他社の1.5倍くらいの単価であった。
そのためお客様には
「たっか!w
仕事お願いできないよそれじゃあ」
と言われていて、それを上長に相談するも値下げは社長方針で許されなかった。
この辺りは経営判断かなとも思うのだが、
厳しいレッドオーシャン市場に新規営業をかけていく、しかもコモディティ、ときたらそりゃ単価は安いか、せめて同等でないと厳しいと思う。
そこを埋めるには、と考えていったのだがーー
結局は「情」に訴えていく他なかった。
値段は高い、
質は同等、
知識経験による付加価値もない、
そうなったら、そりゃあ…
「情」しかもう、ない。
とにかく「理性」の部分では完全に説得不能な状態だった。
当然、しつこすぎてキレられて出入り禁止になったところも多々あるが、数ヶ月してほとぼりが冷めたらしれっと再訪する。
普通にしつこい営業スタイルだった。
僕も上記の営業スタイルを、最初からできたわけではなかった。
毎日本気で考えて、悩んでーー3ヶ月ほどかけて編み出した。
結果、お情けで仕事をもらうことができて、僕は生き延びることができた。
これができない同期は全然売れなくて、社長や上司から鬼詰めされて辞めていった。
僕の仕事はまず、大型ビルを攻略するにあたって、キーマンを探す事だった。
キーマンを見つけられないと仕事は進展しない。
ゆえに、まずはキーマンをどれだけ見つけられたかが新人の最初の仕事であった。
僕はコスチュームを工夫したり、怪しまれないトーク術を展開できて、この工作員活動をクリアできたのだった。
商品の寿命
僕はこの会社は競争力があると思って入った。
しかし競争力は、実はなかった。
正確には、20年で失われていた。
会社がその技術を導入した平成初期では画期的な材料・工法だったので営業もしやすかったし、事実お客様に価値を提供できていた。
その頃に、多くのビルに採用されて、会社の基礎ができたのだった。
会社は、その頃からの既存顧客によって収益を上げていたから、その部分は良いと思う。
ただ、20年の間に、競合他社品が開発されて、値段で勝負されて、
競合他社も同等の性能と実績を積んで、かつ安いというのが、僕が新卒で入ったタイミングであった。
だからもう、賞味期限が切れていた。
商品には寿命がある。
そのような背景だから、お客様が僕の勤務先に切り替える理由は、ほとんどなかった。
とにかく値段がネックだった。
それでも僕を哀れに、もしくはめんどくさく思ってくれたお客様たちから、少しずつお仕事を振ってもらえるようになった。
気付けば、額や規模は小さいながらも、新規開拓の件数という切り口では成果を出し始めていた。
それを上司は評価し、褒めてくれた。
僕はこれだけの苦労をしていたから、うれしくてうれしくて…涙が出た。
ちなみに毎朝7時に出社、夜は21〜22時まで残業し自作の資料を作っていた。
現場に入って写真を集めたり、休日もコッソリ営業したりしていた。
休日でも、お客様は工事の監督のために出社していて、そういう日は結構話してくれたりしたのだ。
そのようにしてーー手前味噌だが、とんでもなく努力した。
生活の全てを仕事に突っ込んで、フルコミットしていた。
だから、成果が出て褒められた時には熱い涙が溢れてきたのだ。
しかし、そのようなフルコミット生活は、実家暮らしだったからできたことだったと思う。
それでも野に放たれた猟犬(僕)は満足しない。
どれも小規模の仕事ばかりで営業成績(金額)はノルマ達成できていなかったからだ。
そんな中、最初の大きな幸運が訪れる。
新人では規格外の大きさの大規模受注である。
この一件を境に僕は天国と地獄を味わう。
長くなってしまったので一旦切る。
続き:EP3 片道切符
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